三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです。三国志の全登場人物を1日1人以上紹介中。リニューアル中のページは見られない場合があります
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佐竹義昭(さたけ・よしあき)
常陸の人(1531~1565)
常陸の大名。
父の死により15歳で家督を継いだ。
当時の佐竹家は常陸統一に向け勢力拡大しており、義昭は巧みな外交戦略で上杉謙信、宇都宮広綱(うつのみや・ひろつな)ら周囲の大名と同盟を結び、戦いを有利に進めた。
1562年には早くも16歳の長男・佐竹義重(よししげ)に家督を譲ったが、実権は離さず二頭政治の体制をとった。
しかし常陸統一を目前にした1565年、35歳の若さで急逝した。
早くに義重に家督を譲ったことや、若くして急逝したことから重病を患っていたとする説がある。
これにより佐竹家は出直しを余儀なくされ、反抗勢力も盛り返したため、ようやく統一を果たしたのは実に26年後の1591年、義重の子の佐竹義宣(よしのぶ)の代になってからであった。
余談だが1546年、河越夜戦で北条家に大敗した上杉憲政(うえすぎ・のりまさ)は勢力を維持できなくなり、義昭に関東管領の地位と上杉家の家督を譲ろうと打診したという。(佐竹家は5代前に上杉家から養嗣子を迎えており縁戚にあたる)
しかし義昭は名門・佐竹家の誇りからかこれを拒否した。
憲政が次いで庇護を求め、管領職と家督を譲ったのがかの上杉謙信である。