三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです。三国志の全登場人物を1日1人以上紹介中。リニューアル中のページは見られない場合があります
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
ただいまコメントを受けつけておりません。
※アイコンは袁遺
佐竹義久(さたけ・よしひさ)
常陸の人(1554~1601)
常陸の大名・佐竹家の分家である佐竹東家の当主。父は佐竹義堅(よしかた)。
本家の当主佐竹義重(よししげ)の信頼を受け、主に陸奥方面の軍権を任された。
また外交手腕に優れ、甲斐武田家との同盟締結や、豊臣秀吉との交渉を担当した。
秀吉も大いに気に入られ、豊臣姓を許され、直轄地の代官も任された。
文禄の役では義久が佐竹軍を率いて渡航し、後には常陸鹿島に6万石を与えられ、独立大名として遇された。
1600年、関ヶ原の戦いで佐竹家は西軍につき、改易の危機にさらされた。
義久は徳川家康と交渉し、本家の本領安堵の約束を取り付けたとされるが、急死によりうやむやとなり、佐竹家は秋田への転封を命じられた。
急病による死とも、約束を反故にしたい家康による暗殺ともささやかれ、また義久が家康の意向により本家の当主になるという噂も立っており、それを嫌った勢力による暗殺説も根強い。