三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです。三国志の全登場人物を1日1人以上紹介中。リニューアル中のページは見られない場合があります
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三好吉房(みよし よしふさ)
尾張の人(1522~1612)
豊臣秀吉の姉・ともの夫。秀吉の義兄にあたり、一族の少ない秀吉からは一門衆として重用された。
出自も旧姓も不明で、そもそも姓を持たない貧民や大工、鍛冶だったとの説もある。
はじめは秀吉から木下姓をもらった。嫡子の秀次(ひでつぐ)が三好康長(みよし・やすなが)の養子になると吉房も三好姓を名乗った。
秀次が子のない秀吉の後継者に立てられると、吉房が秀次の留守をあずかることも増えたが、器量に乏しい秀次から見てさえ吉房は頼りなく「父は年を取り衰えたようだ」と嘆く文書が残されている。
秀吉とは対照的に多くの男子に恵まれたが、次男の豊臣秀勝(ひでかつ)が24歳、三男の豊臣秀保(ひでやす)が17歳で病死し、秀次も28歳で謀叛の嫌疑を掛けられた末に切腹と、いずれも短命で没した。
吉房も秀次の罪に連座して讃岐に流罪されたが、秀吉の死後に赦免されると、子らの菩提を弔うために寺を建立し、自らも出家した。
妻のともも、夫の流罪中に出家しやはり寺院を建立している。
また立派な髭をたくわえており、大いに自慢したという逸話くらいしか無いあたりが、彼の素朴さと器量の限界を同時に物語っている。