三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです。三国志の全登場人物を1日1人以上紹介中。リニューアル中のページは見られない場合があります
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北畠具教(きたばたけ・とものり)
伊勢の人(1528~1576)
伊勢北畠家当主の長男として生まれる。
以降、10歳で従五位下侍従に任じられ、剣豪・塚原卜伝(つかはら・ぼくでん)や上泉信綱(こういずみ・のぶつな)に習い奥義を授かるなど名家の当主らしい青年期を歩み、1553年に家督を譲られた。
対立していた長野工藤家、九鬼家らを打ち破り北畠家の最盛期を築き上げた。
しかし1568年、織田信長が伊勢に侵攻し神戸家、長野工藤家らを降した。
具教は抗戦したが兵力差で劣り、また弟の木造具政(こづくり・ともまさ)が寝返るなどしたためやむなく降伏した。
信長は降伏の条件として次男・織田信雄(おだ・のぶかつ)を具教の長男・北畠具房(きたばたけ・ともふさ)の養嗣子として迎えさせた。
そして1576年、具教は次男・長野具藤(ながの・ともふじ)らとともに信長によって暗殺された。
北畠具房も幽閉され、北畠家は事実上、織田家に乗っ取られ滅亡したことになる。
剣豪として知られる具教は最期の時、19人の刺客を斬り100人余りに手傷を負わせたとも、その剣技を恐れた信長の命であらかじめ太刀の刃を潰されており、無抵抗のまま殺されたとも伝わる。
また領地を接する柳生宗厳(やぎゅう・むねしげ)とも親しく、彼や槍の名手・宝蔵院胤栄(ほうぞういん・いんえい)を上泉信綱に紹介したのも具教だと言われ、剣豪たちの交流に一役買ったともいう。