三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです。三国志の全登場人物を1日1人以上紹介中。リニューアル中のページは見られない場合があります
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飯尾連龍(いいお・つらたつ)
駿河の人(??~1565)
今川義元の重臣。
1560年、桶狭間の戦いで義元が織田信長に討たれ、連龍の父ら多くの家臣も命を落とした。
当主を失った今川家からは次々と離反者が現れ、連龍も三河で独立を企む徳川家康に接近した。
1562年、今川家を継いだ今川氏真(いまがわ・うじざね)は連龍の裏切りに激怒し、居城の曳馬城を攻めた。
連龍は巧みな指揮でそれを撃退し、多くの大将を討ち取るも「讒言で謀叛を疑われ、攻められたから反撃しただけで二心はない」と釈明し、今川軍は撤退した。
このあたりの経緯は出典によって異なり、他にも連龍は井伊家に仕えていたが謀叛の嫌疑を掛けられたため、当主を毒殺して蜂起した、との記述もある。
1565年、連龍は氏真に駿府城に招かれ暗殺された。
これも諸説あり連龍は切腹を命じられた、濡れ衣を掛けられたため屋敷に立てこもり抗戦の末に自害した、氏真の娘と連龍の息子を結婚させると偽り、酒宴のさなかに殺したなど様々である。