三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです。三国志の全登場人物を1日1人以上紹介中。リニューアル中のページは見られない場合があります
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朝比奈泰朝(あさひな・やすとも)
駿河の人?(1538?~??)
今川義元の宿老・朝比奈泰能(やすよし)の子。
母は寿桂尼(じゅけいに 義元の母)の姪にあたる公家の娘で、泰朝も山科言継(やましな・ときつぐ)らと交流があった。
父は太原雪斎(たいげん・せっさい)と並ぶ重臣だったが1557年に没し、泰朝が家督を継いだ。
1560年、桶狭間の戦いでは織田方の鷲津砦を落とすも、後続の義元が織田信長に討たれたため撤退した。
義元を失った今川家では離反者が続出したが、泰朝は跡を継いだ今川氏真(いまがわ・うじざね)を支え、越後の上杉家と同盟交渉するなど軍事・外交両面で活躍した。
しかし1568年、武田信玄の裏切りにより駿河を奪われた。
泰朝は落ち延びてきた氏真を掛川城に迎え入れ、攻め寄せる徳川家康軍を相手に籠城した。
包囲は5ヶ月に及び、孤立無援を悟ると氏真は開城し、妻(早川殿)の実家である北条家へと退去した。
泰朝は全てを失った氏真に付き従い、上杉家に援助を求めるなど今川家再興のために手を尽くした。
1571年、北条家でも立場を失った氏真が家康の庇護を求め浜松城へ赴いた際に、泰朝の姿はなかった。それ以降の消息も不明で、氏真が徳川家へ亡命する前に没していたと思われる。