三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです。三国志の全登場人物を1日1人以上紹介中。リニューアル中のページは見られない場合があります
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蠣崎季広(かきざき・すえひろ)
蝦夷の人(1507~1595)
1545年に父が没し家督を継いだ。
父の代からアイヌと敵対していたが、季広は跡を継ぐや和睦路線に転じ、蝦夷南部の首長との和睦を結んだ。なおこれは主家の安東愛季(あんどう・ちかすえ)による命令とする説もある。
季広は13人の娘を安東家のみならず奥州各地の諸大名に嫁がせて縦横無尽に姻戚関係を作り上げ、地盤を固めた。
1583年、三男の蠣崎慶広(よしひろ)に家督を譲り(長男・次男はなんと長女に毒殺されている)やがて豊臣秀吉の直臣となり安東家から独立を果たすと、季広は「私はこれまで安東家に仕えてきたが、お前は天下の将軍の臣となった」と息子を伏し拝んで喜んだという。
慶広は秀吉の信頼を得て蝦夷の支配権も確立し、それを見届けて季広は89歳で没した。