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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです。三国志の全登場人物を1日1人以上紹介中。リニューアル中のページは見られない場合があります

戦国列伝―安東愛季  世紀末救世主大名

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戦国列伝―安東愛季  世紀末救世主大名


※アイコンは公孫瓚

安東愛季(あんどう・ちかすえ)
出羽の人(1539~1587)

出羽の大名。
安東家は湊系と檜山系の二派に分かれ長年対立していたが、湊系の当主・安東堯季(たかすえ)はそれを解消するため、娘婿に檜山系の当主・安東舜季(きよすえ)を迎えた。そして堯季の娘と舜季の間に生まれたのが愛季である。
余談だが義父子の名の「堯・舜」は中国古代の名君から採られたものと思われ、堯から舜に譲位したこともなぞらえており、偶然の一致とは考えられず、縁組にあたって(どちらかが、または双方が)改名したのだろう。
さらに余談だが安房の大名・里見義堯(さとみ・よしたか)も「堯・舜」になぞらえ嫡子を里見義舜(よしきよ)と名付けている。

愛季は長じると文武両道に卓越した才能を示し、特に土崎港を改修して北日本最大級の港湾都市に育て上げるなど交易で莫大な富を築いた。
史料に乏しく経緯は諸説あるが、愛季の父方の檜山系が母方の湊系を吸収する形で安東家は統一された。
中央で台頭した織田信長にいち早くわたりを付け、信長の死後にはその後を継いだ豊臣秀吉にもよしみを通じるなど巧みな外交戦略も見せ、安東家の最盛期を築き、その栄華は「斗星(北斗七星)の北天に在るにさも似たり」と讃えられた。
またルイス・フロイスは「日本の極北に一大国あり、野獣の皮を着、全身多毛、髪髭すこぶる長き蛮人が住む」といささか誇張気味に記している。

愛季は出羽北部の沿岸部をほぼ制圧し、内陸部にも侵攻を始めるも1587年、陣中で没した。享年49。
晩年には秋田に改姓しており、次男の秋田実季(あきた・さねすえ)は父の急死で12歳で家督を継いだが、それに不満を抱いた従兄で12歳年長の安東通季(みちすえ)が反乱を起こした。
通季は「湊系安東家の復興」を掲げ実季の十数倍の兵力を集めた。内乱に乗じて南部家、小野寺家、戸沢家も南部領に攻め込み、一方で大浦家が南部家の後方で独立を図るなど、北奥羽全体を巻き込む大乱へと発展したが、実季と家臣団は粘り強い采配で耐え抜き、通季を撃退し、南部家にいったんは奪われた領土も回復した。

その後は減封、転封や実季の戦国気質の剛直な性格を厭われ、蟄居処分なども受けたが秋田家は陸奥に落ち着き幕末まで存続した。

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