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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです。三国志の全登場人物を1日1人以上紹介中。リニューアル中のページは見られない場合があります

戦国列伝―足利藤氏  長男は反抗期

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戦国列伝―足利藤氏  長男は反抗期


※アイコンは劉辟

足利藤氏(あしかが・ふじうじ)
下総の人(??~??)

関東の将軍家とも呼ぶべき古河公方の第4代である足利晴氏(はるうじ)の長男。

藤氏は室町幕府第13代将軍から偏諱を受けるなど、次代の古河公方の座を約束されていたが1546年、父の晴氏は河越夜戦で北条氏康に大敗し、その権威は地に落ちた。
次男で氏康の甥にあたる足利義氏(よしうじ)への家督相続を余儀なくされ、古河公方は北条家の勢力拡大のための傀儡として用いられた。

1557年、藤氏は謀叛を試みるも失敗し、晴氏を幽閉され自身は追放された。
藤氏は北条家の宿敵である安房の里見家に庇護を求め、さらにかつて晴氏とともに北条家と戦った上杉憲政(うえすぎ・のりまさ)のつてをたどり、長尾景虎(上杉謙信)に救援を求めた。
1561年、長尾家に保護されていた憲政は関東管領の権限で、出兵の大義名分を景虎に与えた。憲政・景虎の号令に応じ関東の諸大名が兵を送り、10万もの大軍に膨れ上がり、北条家は小田原城での籠城戦を強いられた。
戦国一の巨城の小田原城は落とせず、兵糧不足で連合軍は撤退したが、藤氏は古河城の奪回に成功した。

古河御所をおさえた景虎は、憲政から上杉家の家督と関東管領の座を譲られた。
そして前年に死去した晴氏の正統な後継者として藤氏を擁立し、足利義氏の相続を認めず、藤氏こそ第5代古河公方であると主張した。
これに関東の反北条勢力の大名も同調したため、藤氏は数年間だが正統な古河公方として認められた。(ただし彼を第5代、あるいは第6代に数えることはない)

だが上杉軍が撤退するや北条家は反撃に乗り出し、同年のうちに古河城を奪い返した。
藤氏は里見家に庇護を求め、以降は上杉・北条の間で古河城の争奪戦が繰り広げられた。藤氏も何度となく御所へ出入りを繰り返したものの1562年、ついに北条軍に捕らえられた。
その後の事績は不詳だが1566年以降は消息が途絶えており、処刑されたものと思われる。

藤氏を失った謙信は関東出兵の大義名分を失い、以降は北陸での活動が主となった。
古河公方の座は1570年の北条家と上杉家の同盟締結の際に、上杉方も足利義氏の相続を正式に認めたが、1583年に義氏が没すると男子がなく、事実上の消滅を遂げた。

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