三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです。三国志の全登場人物を1日1人以上紹介中。リニューアル中のページは見られない場合があります
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宇都宮広綱(うつのみや・ひろつな)
下野の人(1545~1576)
鎌倉時代から続く名家に生まれたが、5歳の時に父が戦死し、宿老の壬生綱房(みぶ・つなふさ)に居城を奪われた。
広綱は家臣の芳賀高定(はが・たかさだ)に守られて辛くも城を脱出し、彼に養育された。
高定は謀略を駆使して反撃に乗り出し、壬生方についた家臣を次々と暗殺。広綱に味方する勢力を徐々に集めながら外交戦略で北条家の援助を取り付けると1557年、北条家の命を受けた佐竹軍5千とともについに居城を奪い返した。
高定はさらに佐竹義昭(さたけ・よしあき)の娘を広綱の妻に迎えさせ、侵攻してきた上杉謙信軍を多功長朝(たこう・ながとも)の奮戦で撃退すると、逆に上杉家と同盟し、北条家と対立した。
だが役目を終えた高定が引退し、生まれつき病弱だった広綱の容態も花押すら押せないほどまで悪化すると、1572年、重臣の皆川俊宗(みながわ・としむね)が反乱しまたも居城を乗っ取られてしまう。
1576年、失意のうちに広綱は32歳で没した。晩年は長く病床に伏しており、実際にはそれ以前に亡くなっていた可能性も高い。