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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです。三国志の全登場人物を1日1人以上紹介中。リニューアル中のページは見られない場合があります

戦国列伝―足利義維  堺公方

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戦国列伝―足利義維  堺公方



足利義維(あしかが・よしつな)
山城の人(1509~1573)
 
室町幕府11代将軍・足利義澄(よしずみ)の子。
1527年、三好元長(みよし・もとなが)、細川晴元(ほそかわ・はるもと)らに擁立され、兄で12代将軍の足利義晴(よしはる)を桂川の戦いで破り、京から放逐した。
次期将軍の地位を約束され、堺で幕政をとったことから「堺公方」と呼ばれる。
しかし三好元長が仲違いした細川晴元に自害させられると実権を奪われ、阿波に逃れた。

1566年、松永久秀(まつなが・ひさひで)と三好三人衆に13代将軍・足利義輝(よしてる)が暗殺されると、のちに松永久秀と敵対した三好三人衆によって、14代将軍に義維の子・足利義栄(よしひで)が擁立された。
義維は義栄の後見人となるが、急速に勢力を拡大していた織田信長が、かつて義維が追放した兄・義晴の子である足利義昭(よしあき)を立て、上洛を開始した。
快進撃を続ける信長に抗すすべはなく、義維らは京を逃れ、もともと患っていた義栄もすぐに亡くなり、復権の夢は途絶えた。阿波に戻った義維も、数年後に死去した。

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