三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです。三国志の全登場人物を1日1人以上紹介中。リニューアル中のページは見られない場合があります
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蜂須賀正勝(はちすか・まさかつ)
尾張の人(1526~1586)父・正勝・子の三代で小六(ころく)を通称とし蜂須賀小六の名でも著名。
若い頃は木曽川の水運業を生業とし、付近の国主・豪族の間を渡り歩いたと思われる。
「太閤記」や講談などでは野盗の親分とされ、今だに広く信じられている。
生涯の主君となる羽柴秀吉との出会いは諸説あり、はじめは秀吉が正勝に仕えていたともされる。
1566年、秀吉躍進のきっかけとなった墨俣城の築城に携わり、地理を活かして美濃の攻略にも貢献した。
以降は秀吉の腹心として付き従い、1581年には播磨に5万石を与えられた。
1585年の四国攻めでは戦はもちろん戦後処理から外交まで全面的に取り仕切り、土佐の長宗我部家への抑えとして阿波一国を任されようとしたが、正勝は秀吉の側近として仕えることを望んだため、阿波は嫡子の蜂須賀家政(はちすか・いえまさ)に与えられた。
翌1586年、61歳で死去。蜂須賀家は幕末まで大名として存続し、明治期にも華族となった。