三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです。三国志の全登場人物を1日1人以上紹介中。リニューアル中のページは見られない場合があります
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平野長泰(ひらの ながやす)
尾張の人(1559~1628)
豊臣秀吉に仕えた猛将。
平野家は鎌倉幕府の執権北条家の庶流にあたり、一説に長泰の父は公卿の清原家の生まれとも言われる。
若くして秀吉に仕え、1583年の賤ヶ岳の戦いでは加藤清正、福島正則らとともに目覚ましい働きを見せ「賤ヶ岳七本槍」に数えられた。
その後も武功を重ね1597年には豊臣姓も許されたが、清正、正則ら他の武断派と同じく1600年、関ヶ原の戦いでは東軍についた。
徳川秀忠の旗本に付けられたものの、中山道を進む秀忠軍は真田昌幸(さなだ・まさゆき)・幸村父子に足止めされるうちに本戦に間に合わなかった。
1614年、大坂の陣では豊臣家に合流しようとしたものの、それを察知した徳川家康に江戸城の留守居役を命じられたため果たせなかった。
1628年、80歳で没した。生涯にわたり親豊臣派に属したためか「七本槍」の中で唯一、大名にはなれなかったが子孫は明治期まで続き、明治新政府によって大和田原本に立藩されたという。