三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです。三国志の全登場人物を1日1人以上紹介中。リニューアル中のページは見られない場合があります
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沢彦宗恩(たくげん・そうおん)
出身地不明(??~1587)
臨済宗の僧。織田家に仕えた。
若い頃は諸国を行脚していたという。
織田家の家老・平手政秀(ひらて・まさひで)の依頼で織田信長の教育係となる。また自刃した平手政秀の菩提を弔うため信長が建立した政秀寺の開山も務めている。
信長が美濃を攻略すると、稲葉山城下の井ノ口の改名を進言し、中国・周の故事にならい3つの候補を挙げ、信長は「岐阜」を選んだ。
またこの頃から信長が使用し始めた「天下布武」も沢彦の進言によるもので、そもそも「信長」の名付け親だともいう。
信長の隠れた助言者という立場から、徳川家康における南光坊天海(なんこうぼう・てんかい)や以心崇伝(いしん・すうでん)のように影の参謀だったとする説もあるが、しかしこれらの業績は「政秀寺古記」がほとんど唯一の史料であり、沢彦宗恩という人物が実在はしていただろうが、どこまでが事実かはわからない。