志村光安(しむら・あきやす)
出羽の人(??~1609?)
最上家の家臣。「性剛にして、口才人を挫き、いかなる強敵も彼の前には降った」と称される名将。
1600年、長谷堂城を上杉家の2万の大軍に包囲されるが、鮭延秀綱(さけのべ・ひでつな)とともに3千足らずの兵で籠り、関ヶ原で西軍が敗れた影響で上杉軍が撤退するまで無事に守り切った。
戦後、東禅寺城に3万石を与えられた。そこに巨大な亀が現れたことを主君に報告すると、吉兆として東禅寺城は亀ヶ崎城に、近隣の大宝寺城は鶴ヶ岡城と改名された。
跡を継いだ長男は最上家の内紛により命を落としたが、一族はその後、水野忠邦に仕え明治期まで名を残した。