一栗放牛(いちくり・ほうぎゅう)
放牛は法名、本名は不明
大崎家の重臣(1500~1591)
~経歴~
1590年、豊臣秀吉は天下統一の総仕上げとして北条氏の征伐に乗り出し、全国の大名に参集を命じた。
しかし伊達政宗はそれを渋り、参戦を遅らせたため、伊達家に従属していた大崎・葛西もおいそれと兵を送れず、結局、北条征伐には加われなかった。
それを怒った秀吉は大崎・葛西の所領を没収し、木村吉清(きむら・よしきよ)に与えた。だが反発した一栗放牛ら旧臣と領民は一揆を起こし、木村吉清を幽閉した。
一時は伊達政宗が一揆の首謀者と疑われるなど、混乱がつづいたが、秀吉は蒲生氏郷(がもう・うじさと)、石田三成らを派遣しすぐに鎮圧した。
一栗放牛も奮戦したが、衆寡敵せず伊達軍により討ち取られた。当時、一栗放牛はなんと92歳。日本最高齢の討ち死にと思われる。