三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです。三国志の全登場人物を1日1人以上紹介中。リニューアル中のページは見られない場合があります
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松平忠吉(まつだいら・ただよし)
遠江の人(1580~1607)
徳川家康の四男。
徳川秀忠と母が同じで幼い頃から将来を期待され、2歳で早くも三河東条1万石を領し、3歳で駿河沼津4万石に上った。
長じると武勇に優れた美男子に育ち、徳川四天王の井伊直政(いい・なおまさ)の娘をめとった。
1600年、関ヶ原の戦いでは井伊直政とともに偵察と偽って福島正則の陣をすり抜けると、わずかな手勢でそのまま敵陣に襲いかかり一番槍を飾った。
だが撤退する島津義弘を追撃したところ猛反撃にあい、義弘の甥・島津豊久は討ち取ったものの忠吉と直政は揃って重傷を負った。
戦後、尾張清州や美濃に52万石を与えられたが負傷がもとで(悪性腫瘍ともされる)1607年、28歳の若さで没した。
また直政もやはり戦傷がもとで1602年に没している。