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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです。三国志の全登場人物を1日1人以上紹介中。リニューアル中のページは見られない場合があります

戦国列伝―東郷重位  二の太刀いらずのチェスト

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戦国列伝―東郷重位  二の太刀いらずのチェスト


※アイコンは成済

東郷重位(とうごう・しげかた)
薩摩の人(1561~1643)

島津家に仕え、示現流を開いた兵法家。
名の重位の読みは示現流の口伝では「ちゅうい」とされる。

瀬戸口家に生まれ、後に縁戚の東郷家から改姓を許された。
若い頃は肥後の兵法家・丸目長恵(まるめ・ながよし)の開いたタイ捨流を学んだ。
島津家に仕えて武功を立て、1587年に島津家が豊臣秀吉に降伏すると、主君の島津義久(しまづ・よしひさ)に従い上洛した。
金細工の修行が目当てだったとされるが、天寧寺の僧・善吉(ぜんきち)に出会い、彼が奥義を受け継いだ天真正自顕流を学び、修行の末に帰国すると、天真正自顕流とタイ捨流を組み合わせ独自の剣術を編み出した。

家中に多数の門弟を抱えるようになり、やがて島津忠恒(ただつね)のもとにも名声が届くと、1604年にタイ捨流の師範と御前試合を命じられた。重位が勝利を収めると、お抱えの師範を破られた忠恒は激昂し重位に斬りかかったが、とっさに扇子で忠恒の手を打ち、刀を叩き落としたため感嘆され、島津家の兵法師範に任じられたという。
その後、島津家が帰依する僧侶・南浦文之(なんぽ・ぶんし)によって重位の剣術は示現流と命名された。

礼儀正しく穏やかな人格者であった重位は家中でも重んじられるようになり、島津家の家老から内密に相談を受けることも多々あった。
後に薩摩藩密貿易の拠点ともいわれた坊泊郷の地頭を任されたという逸話も、彼の口の堅さと島津家からの信頼を感じさせる。

1643年、83歳で没した。
示現流の特徴を表す「二の太刀いらず」は現代でも著名で、技の一つ「一二の太刀」は警視庁の剣道で採用されている。
ただし示現流の掛け声として有名な「チェスト」は実際には「エイ」であり、分派の薬丸自顕流の方がより掛け声は激しいという。

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