三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです。三国志の全登場人物を1日1人以上紹介中。リニューアル中のページは見られない場合があります
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朽木元綱(くつき・もとつな)
近江の人(1549~1632)
父の戦死により2歳で家督を継いだ。
浅井・六角・朝倉・三好家に領地を囲まれ、その間を立ち回りなんとか家名を保った。
1553年には三好家に京を追われた将軍・足利義輝(あしかが・よしてる)をかくまった記録もある。
1570年、朝倉家を攻めた織田信長の背後を、裏切った浅井長政が襲った。
信長は窮地に陥り京へ向かい、その途上で元綱の朽木谷へ差し掛かった。朽木家は浅井家に従属していたが、松永久秀の説得により信長に鞍替えし、以降は織田家、豊臣家に仕えた。
1600年、関ヶ原の戦いでは西軍についたものの、小早川秀秋(こばやかわ・ひであき)の寝返りを目にするや脇坂安治(わきさか・やすはる)ら付近の3部隊とともに連鎖的に寝返り、大谷吉継に襲いかかった。
だが戦前に寝返りの約束をしていた脇坂安治を除く3人は処罰され、元綱は改易こそ免れたものの半分以下に減封された。
元綱は1616年に出家し、1632年に84歳で没した。
死後、朽木家は3人の息子によって分割され、宗家は6千石となったが、末子の朽木稙綱(たねつな)は徳川家光に重用され常陸土浦3万石を与えられたため、宗家の実に5倍の所領を得る逆転現象が生じた。