三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです。三国志の全登場人物を1日1人以上紹介中。リニューアル中のページは見られない場合があります
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織田信長の乳兄弟・池田恒興(いけだ・つねおき)の娘。安養院(あんよういん)の名でも知られる。
同じく織田家で「鬼武蔵」の異名をとった森長可(もり・ながよし)に嫁いだ。
池田家と森家は親しく、恒興は次男の池田輝政(てるまさ)を、森長可の父と同じ三左衛門(さんざえもん)と名づけている。
真偽の程は怪しいが、せんは賤ヶ岳の戦いで女ばかり200人の鉄砲隊を率い、織田信雄(おだ・のぶかつ)の陣を銃撃したという。
だが小牧・長久手の戦いで恒興と兄の池田元助(もとすけ)、夫の長可はそろって討ち死にした。
せんと長可の間に子はなく、森家は長可の弟の森忠政(ただまさ)が継いだ。
せんはその後、豊臣家に仕える中村一氏(なかむら・かずうじ)に再嫁した。
一氏は甲賀忍者だったという説すらあるほどで出自は判然としないが、前夫の長可に似た勇猛な人物で、駿河14万石の大名となった。
また山崎の戦い、賤ヶ岳の戦いにも出陣しており、山崎では鉄砲隊を率いたと記され、せんが本当に女鉄砲隊を指揮していたとすれば、一氏と共闘したと思われる。
1600年、関ヶ原の戦い直前に一氏が急死し、11歳の嫡子・中村一忠(かずただ)が跡を継いだ。
しかし一忠は甘言に惑わされて後見人の叔父を殺してしまい、その罪悪感と周囲の冷たい視線に耐え切れず、病を得て20歳で没した。
中村家はそれにより改易されたが、一忠の遺児は、祖母せんの縁をたどり池田家(輝政の孫)に仕えたという。
また他に二人の男子がおり、三男の中村甚左衛門(じんざえもん)は関ヶ原の戦いに際し、西軍に城を包囲された細川幽斎(ほそかわ・ゆうさい)の密命を帯びて城を脱出したとされるものの、長兄の一忠が当時11歳なのに幼児の彼が細川家に仕えているのは不自然で、ましてや密命を授けられるわけもない。
さらに甚左衛門の子孫が「甚左衛門は天文20年(1551年)の生まれと推定され~~」などと発言しており、これは同姓同名の別人と考えるべきだろう。
次男とされる中村正吉(まさよし)は肥後中村家を立てるも戦死したというが、これも一氏の弟の系譜との混同が見られ、記述は甚だ怪しい。