三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです。三国志の全登場人物を1日1人以上紹介中。リニューアル中のページは見られない場合があります
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里見義弘(さとみ・よしひろ)
安房の人(1530~1578)
安房の大名・里見義堯(よしたか)の嫡子。
義堯は故事に明るく、古代中国の王朝である堯・舜になぞらえ嫡子を義舜(よしたか)と名付けたが、1558年頃に父から家督を譲られると義弘に改名された。
父と同様に北条家と敵対したが1564年、第二次国府台合戦で大敗すると正木時忠(まさき・ときただ)ら有力国人衆の離反を招き、上総の大半を失った。
だが1567年、三船山の戦いで北条軍に大勝利を飾り、大半の領地を奪回し、さらに下総まで版図を広げ里見家の最盛期を築いた。
1569年、上杉謙信が里見家と手切れし、北条家と新たに同盟すると劣勢に立たされ、1577年には不利な条件で北条家との和睦を結ばされた。
そして翌1578年、義弘は急逝した。
遺言ではっきりと後継者を示さず、弟(庶長子とする説も)の里見義頼(よしより)と嫡子の里見義重(よししげ)への領土分割を命じたため、里見家を分裂させてしまった。