三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです。三国志の全登場人物を1日1人以上紹介中。リニューアル中のページは見られない場合があります
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北条幻庵(ほうじょう・げんあん)
相模の人(1493~1589)
北条家の最長老。北条早雲の三男で本名は北条長綱(ながつな)。
幼い頃に出家し宗哲(そうてつ)と名乗り、後に箱根権現社の別当となる。箱根権現は東国の武士に崇められる軍神で、それを抑えるため早雲は息子を送り込んだと見られる。
長じると北条家の政治・外交にも関わり、家中で二位の松田憲秀(まつだ・のりひで)の倍近い最大の所領を得た。
僧侶ながら馬術・弓術にも優れ、若い頃には戦で一軍を率いることもあり、一門衆の長老格として絶大な影響力を持った。
小机城主だったが家督や城主を譲った息子や甥が次々と亡くなったため、1569年、北条氏康の七男・北条三郎(後の上杉景虎(うえすぎ・かげとら)を養子に迎えた。またこの頃に幻庵と号した。
文化的素養も高く、和歌、茶道、連歌、造園などを良くし、また手先が器用で尺八や鞍、あぶみを自ら作製した。
史料の信憑性に疑問は残るが長寿で、記録上は北条家五代に仕えた唯一の家臣で、彼の死からわずか9ヶ月後に豊臣秀吉によって北条家は滅亡した。