三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです。三国志の全登場人物を1日1人以上紹介中。リニューアル中のページは見られない場合があります
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
ただいまコメントを受けつけておりません。
※アイコンは周善
赤座直保(あかざ・なおやす)
越前の人(??~1606)
もともとは朝倉家に仕えていたと思われる。
1573年、織田信長が朝倉家を滅ぼすと織田家に仕えた。
1582年、本能寺の変で織田信忠(のぶただ)の麾下にいた父が戦死すると家督を継いだ。
その後は豊臣家に仕え、1590年の小田原征伐では石田三成とともに忍城を攻める。
その功で越前今庄2万石に加増され、今庄を北国街道の宿場駅として発展させた。
1600年、関ヶ原の戦いでは西軍についたものの、小早川秀秋(こばやかわ・ひであき)の寝返りを目にするや脇坂安治(わきさか・やすはる)ら付近の3部隊とともに連鎖的に寝返り、大谷吉継に襲いかかった。
だが戦前に寝返りの約束をしていた脇坂安治を除く3人は処罰され、直保も改易された。
その後は前田家に仕えたが1606年、氾濫した川の視察中に濁流に落ち、あえなく溺死した。
子孫は永原(ながはら)に改姓し、前田家の家臣として存続している。