三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです。三国志の全登場人物を1日1人以上紹介中。リニューアル中のページは見られない場合があります
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浅野幸長(あさの・よしなが)
近江の人(1576~1613)
豊臣政権で五奉行筆頭を務めた浅野長政(ながまさ)の嫡子。
父は秀吉の妻ねねの義弟で一門衆でも重きを置かれ、幸長も将来を嘱望された。
武勇に優れ多くの戦功を挙げたが1595年、豊臣秀次(ひでつぐ)が失脚すると連座し能登に配流された。
しかし舅の前田利家(ただし妻は祝言を前に早逝している)や徳川家康にとりなされ間もなく復帰を許された。
1598年、秀吉が没すると加藤清正、福島正則らとともに石田三成と対立し、翌年に前田利家が没し抑えが無くなると三成の屋敷を襲撃し暗殺未遂事件を起こした。
1600年、関ヶ原の戦いでは父とともに東軍につき、幸長は先鋒として活躍し戦後には紀伊37万石に加増転封された。
関ヶ原こそ三成憎しの思いもあり東軍についたものの、豊臣家への忠誠は依然として厚く、加藤清正や池田輝政(いけだ・てるまさ)ら旧豊臣家臣とともに陰に日向に豊臣家に尽くしていたが1613年、急逝した。
幸長、清正、輝政は同時期に相次いで(しかも同じ病名で)急死しており、徳川家康による暗殺説も根強い。