三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです。三国志の全登場人物を1日1人以上紹介中。リニューアル中のページは見られない場合があります
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吉田重勝(よしだ・しげかつ)
近江の人(1514~1590)
吉田流弓術の二代目である吉田重政(よしだ・しげまさ)の四男。
重政は仕えていた六角義賢(ろっかく・よしかた)と奥義の伝授をめぐり揉め事を起こし出奔すると、吉田流が途絶えることを恐れ重勝に奥義を授け京へ移らせた。
重勝は「雪荷派(せっかは)」を興し(雪荷は重勝の号)吉田流の正統とされる。
弟子の中で最も優秀だった伴道雪(ばん・どうせつ)に跡を継がせようとしたが、道雪は固辞し、代わりに一派を立てることを願い出た。それが後の「道雪派」である。
生涯、誰にも仕官しなかったが豊臣秀長(とよとみ・ひでなが)、蒲生氏郷(がもう・うじさと)、宇喜多秀家(うきた・ひでいえ)ら多くの大名と交流し弓術を教えた。特に細川幽斎(ほそかわ・ゆうさい)と親しく、重勝は弓術を教える代わりに細川家の小笠原少斎(おがさわら・しょうさい)から故実や礼法を学んだ。没したのも細川家の領国である丹後だった。