赤川元保(あかがわ・もとやす)
安芸の人(??~1567)
毛利家の重臣。毛利元就が家督相続した頃から宿老として支え、元就の嫡子・毛利隆元(もうり・たかもと)の側近として腕を振るった。
しかし地位を鼻にかけ驕慢な振る舞いをしたため、他の重臣たちとしばしば対立した。
1563年、毛利隆元が和智誠春(わち・まさはる)のもてなしを受けた直後に急死し毒殺を疑われると、首謀者と目された元保は謹慎処分を受け、4年後には自刃に追い込まれた。
だが死後に、元保は毛利隆元に和智誠春の誘いを受けないよう助言していたことがわかり、潔白が証明された。
毛利元就は深く後悔し、元保の甥らを登用し赤川家を再興させた。