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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです

戦国列伝―大野治長  淀殿の懐刀



大野治長(おおの・はるなが)
摂津の人(1569~1615)
 
豊臣家の重臣。
豊臣秀吉の側室・淀殿(よどぎみ)の乳母である大蔵卿局(おおくらきょうのつぼね)の子にあたることから、秀吉に馬廻衆として取り立てられた。
秀吉の死後は遺児の豊臣秀頼(とよとみ・ひでより)に仕えたが、1599年に徳川家康を暗殺しようとした嫌疑をかけられ、流罪となった。
1600年、関ヶ原の戦いで家康陣営に加わり、戦功を認められて罪を許された。
戦後、「豊臣家への敵意はない」という家康の書簡をあずかり、豊臣家への使者を務め、そのまま大阪城に残った。

1614年、片桐且元(かたぎり・かつもと)が家康との内通を疑われ追放されると、乳兄弟の淀殿の寵愛を受けた治長は、豊臣家の筆頭的な地位となった。
あまりに重用されたことから、豊臣秀頼の父は秀吉ではなく治長であるという噂も流れたが、証拠はなく風説の域を出ない。

1614年からの大阪の陣では、主戦派の大野治胤(おおの・はるたね)ら弟らとは逆に、家康との和睦の道を探ったが果たされず、1615年、大阪夏の陣で敗れると、秀頼の正室で、家康の孫でもある千姫(せんひめ)を使者に、自身の切腹を条件に秀頼・淀殿母子の助命を嘆願したが許されず、秀頼らとともに自害した。

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