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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです

戦国列伝―ねね  秀吉の糟糠の妻



ねね(ねね)
尾張の人(1547?~1624)
 
豊臣秀吉の妻。名前はねねの他、おね、ねい、寧々(ねね)と多岐にわたり判然としない。
1561年、当時としては異例の恋愛結婚で秀吉に嫁ぐ。二人の間に子供はできなかったが、加藤清正(かとう・きよまさ)、福島正則(ふくしま・まさのり)ら子飼いの家臣を母代わりとなって育てた。

政務にもたずさわり、城を空けた秀吉の代わりに城主代行を務めたり、秀吉が関白に任じられると、朝廷との交渉や、人質として集められた諸大名の妻子を監督する役割を担った。
1593年からの朝鮮征伐へ向けて全国の交通整備を行なったときには、名護屋(現在の佐賀)から京への通行には秀吉の、京から名護屋へは豊臣秀次(ひでつぐ 秀吉の養子)の、そして大坂から名護屋へはねねの朱印状がそれぞれ必要となる体制が取られた。
そのため諸大名から一目置かれ、ルイス・フロイスら宣教師には「王妃は非常に寛大で、彼女に頼めば叶わぬことはない」と讃えられた。
豊臣家の滅亡後にも、ねねは徳川家に領地を与えられ、関白の未亡人として丁重に扱われたという。


~秀吉との仲~
ねねが秀吉の女好きに不満を抱いたため、織田信長がねねに送った仲裁の手紙が残されている。
要約すると「この前久しぶりにお会いしたが、あなたは変わらず美しかった。あなたほどの女性をないがしろにするとはハゲネズミ(秀吉)は身の程知らずだ。しかしあなたは奥方なのだから堂々として嫉妬するのはよしなさい。秀吉にもこの手紙を見せてやるといい…」といった内容で、魔王と恐れられた信長の意外に細やかな心配りが見られる。
なお秀吉の浮気性には苦しめられたが、夫婦仲はむつまじく、秀吉が関白となってからも諸大名の面前で、夫婦で尾張弁丸出しで怒鳴り合ったという逸話が伝わっている。

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