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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです

戦国列伝―斎藤利三  光秀の腹心



斎藤利三(さいとう・としみつ)
美濃の人(1534~1582)

美濃の大名へと下克上した斎藤道三(さいとう・どうさん)とは異なり、正統な美濃斎藤家の出で、明智光秀の甥(妹の子)とされる。
もとは道三の子・斎藤義龍(よしたつ)に仕え、後に稲葉一鉄(いなば・いってつ)に従い織田家に鞍替えした。
だが一鉄と仲違いし、伯父の光秀に仕え筆頭家老として用いられた。当初、織田信長は一鉄の抗議を受け利三の返還を命じたが、光秀は「30万石をいただくよりも、良き士を得て信長様に報いたい」とそれを拒絶し、強引に認めさせたという。
その際に信長ははじめは激怒し光秀を折檻したともされるが、本能寺の変の遠因として絡めたいだけの創作に思える。

1582年、光秀は本能寺の変を計画し、利三ら数人の重臣にだけ打ち明けた。
光秀の娘婿の明智秀満(あけち・ひでみつ)と利三は無謀だと反対したという説と、信長と敵対し討伐軍を向けられる直前だった長宗我部元親が利三の妹婿に当たることから、むしろ利三が元親を救うため計画を主導したという説がある。
いずれにしろ利三は本能寺の変で中心的役割を果たしたが、明智軍は中国大返しで現れた羽柴秀吉に大敗し、光秀は落ち武者狩りに討たれ、利三も捕縛され斬首となった。

なお彼の末娘は後に三代将軍・徳川家光の乳母となり大奥で権勢をふるう春日局である。
叛逆者の光秀の血脈が将軍家を事実上、牛耳ることになったのは歴史の皮肉だが、それが光秀生存説(=南光坊天海(なんこうぼう・てんかい)と同一人物説)の傍証とされることもある。

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