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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです

戦国列伝―斎藤朝信  越後の鍾馗


※アイコンは関羽

斎藤朝信(さいとう・とものぶ)
越後の人(1527?~1592?)

上杉謙信に仕え武神になぞらえ「越後の鍾馗」とうたわれた名将。
上杉家屈指の名将として謙信からの信頼も厚く、謙信の関東管領への就任式では柿崎景家(かきざき・かげいえ)とともに太刀持ちを務めたとされる。
武勇に優れたのはもちろん奉行職も務めるなど内政手腕に長け、卓越した戦術眼も持っていたため、謙信は最も困難と思われる戦場には必ず朝信を差し向けたという。

1578年、謙信の没後に家督争いが起こると、上杉景勝を支持した。
対抗馬の上杉景虎(かげとら)を支持する武田家と交渉し、領土の割譲と引き換えに兵を撤退させたのも朝信である。
家督争いを制した景勝は深く感謝し、景虎の旧領を恩賞として朝信に与えたという。

1582年、本能寺の変後に隠居した。
子の斎藤景信(かげのぶ)は病を得て隠棲した(直江兼続の逆鱗に触れ追放されたとする説もある)が、後にその子は会津米沢に移封となった上杉家から招聘され、子孫は藩士として幕末まで続いた。


~武田信玄との逸話~
明らかに創作だが朝信と信玄との逸話が面白いので紹介する。

朝信は釈迦の十大弟子で才知に長けた富樓那(ふるな)になぞらえ「富樓那の斎藤」と呼ばれていた。
武田家に使いした時、引見した信玄は知行を尋ねると意地悪く「その方は小兵で隻眼なのに600貫ももらっているのか」とからかった。
朝信は「武田家はともかく当家では隻眼になっても禄を減らされません。それどころかやはり隻眼だった先祖になぞらえ武功の印と主は喜んでいます。聞けば御家にも山本勘助(やまもと・かんすけ)殿なる隻眼で片足まで不自由な小兵がいるそうではないですか。それゆえ恥じることなどありません」と堂々と受け答えた。
信玄は「富樓那と聞いていたが晏子(あんし 中国春秋時代の名宰相)のようだ」と感心し褒美を与えたという。

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