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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです。三国志の全登場人物を1日1人以上紹介中。リニューアル中のページは見られない場合があります

戦国列伝―服部半蔵  鬼の半蔵

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戦国列伝―服部半蔵  鬼の半蔵



服部半蔵(はっとり・はんぞう)
三河の人(1542~1596)


~経歴~
徳川家康の家臣。半蔵は通称で本名は服部正成(はっとり・まさなり)。
「鬼の半蔵」の異名を取った猛将で、伊賀甲賀衆を率いたため、日本一の忍者として名高い。

服部保長(はっとり・やすなが)の四男として生まれる。服部家は伊賀の土豪だったが、家康の祖父・松平清康(まつだいら・きよやす)が上洛した折に服部保長と知り合い、意気投合して家臣となり三河に移り住んだという。
半蔵は服部家を継ぐと、姉川の戦い、三方ヶ原の戦いなど多くの戦で戦功を立て、やがて伊賀衆を預けられるようになった。

1579年、織田信長に家康の嫡男・松平信康(まつだいら・のぶやす)が切腹を命じられた際、半蔵は介錯役となった。だが半蔵は「祖父から三代仕える主君に刃は向けられない」と号泣し、介錯することができなかった。
それを聞いた家康は「鬼の半蔵でも主君は斬れぬか」と心を打たれ、より一層、信頼を置くようになった。

1582年、本能寺で織田信長が暗殺された時、家康は信長の招きで京を旅しており、わずかな供しか連れていなかった。
すでに明智光秀の手が回り、退路を失った家康は切腹を覚悟したが、本多忠勝らの説得で伊賀を越えて脱出することを決意した。
半蔵は地の利を生かし、茶屋四郎次郎(ちゃや・しろうじろう)とともに伊賀・甲賀の土豪と交渉して退路を確保し、無事に家康を逃した。この時、家康に同行した伊賀・甲賀衆はのちに同心として取り立てられている。

半蔵は小牧・長久手の戦い、小田原征伐でも功を立て、遠江に8千石の知行を得て、伊賀忍者を統率する立場となった。
ちなみに以降、服部家の跡取りは、忍者の統率役とともに半蔵の名を継いでいる。
1596年、半蔵は没すると江戸の西念寺に葬られた。そこは半蔵が生前に松平信康の菩提を弔うために創建した寺の後身である。生涯を通じて徳川家に忠誠を尽くした半蔵にふさわしい、安住の地であった。

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