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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです。三国志の全登場人物を1日1人以上紹介中。リニューアル中のページは見られない場合があります

戦国列伝―浅井井頼  日本大乱、国家滅亡

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戦国列伝―浅井井頼  日本大乱、国家滅亡



浅井井頼(あざい・いより)
近江の人(1570?~1615?)

浅井長政の三男、または次男、もしくは養子。
1573年、浅井家が滅ぼされたが残党狩りを逃れ、羽柴秀吉に仕えた。
1583年、賤ヶ岳の戦いに参陣し、その後は豊臣秀次(とよとみ・ひでつぐ)、豊臣秀保(ひでやす)のもとに付けられ、秀保が没するとその領地を継いだ増田長盛(ました・ながもり)に仕えた。

だが1600年、関ヶ原の戦いで増田長盛は東西両軍に通じたものの結局は改易されてしまい、井頼は生駒家に仕えた。
やがてそこも離れると大坂の陣で豊臣家に仕え(淀君(よどぎみ)は姉、豊臣秀頼(ひでより)は甥にあたる)1615年、夏の陣で戦死した。
一方で大坂城を脱出し姉が嫁いでいた京極家に仕えたとする記録もあり、その最期は判然としない。

異説としてこんな話もある。
豊臣秀次に仕えていた頃、井頼は秀次が寵愛していた小姓を(性的な意味で)襲い、激怒した秀次は成敗を命じた。
ところが武勇に優れた彼を恐れて手出しする者はなく、井頼は悠々と出奔した。
遠く朝鮮まで渡り、毎朝海に向かって刀を構え「日本大乱、国家滅亡」を願い素振りするのを日課とし、やがて願いが通じたのか豊臣家が滅亡すると日本に戻り、京極家に仕えたという。

また真田十勇士の一人、根津甚八(ねづ・じんぱち)のモデルは彼だとされる。

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