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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです。三国志の全登場人物を1日1人以上紹介中。リニューアル中のページは見られない場合があります

戦国列伝―浅井亮政  家督争いに乗じる

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戦国列伝―浅井亮政  家督争いに乗じる



浅井亮政(あざい・すけまさ)
近江の人(1491~1542)

浅井家の当主。浅井長政の祖父。
庶家に生まれたが浅井宗家に男子がなかったため、娘婿となり家督を継いだ。
当時の浅井家は北近江の守護・京極家に仕えていた。当主の京極高清(きょうごく・たかきよ)は次男の京極高吉(たかよし)に跡を継がせようと考えたため、長男・京極高延(たかのぶ)を推す重臣らと対立し、亮政は高延方についた。
そして1523年、京極高清・高吉を追放し、中心的役割を担った亮政は京極家の実権を握った。

だが南近江では守護の六角家が台頭しており、また六角家は京極家の本家筋に当たるため、軍事的・血統的にも浅井・京極家は不利な状況にあった。
一方で京極高延も立場に不満を抱き、父と和解すると反浅井派の国人衆を集め、1541年にはついに反旗を翻した。
そのさなかの1542年、亮政は家中の混乱を収拾できないまま死去した。

京極家のお家騒動に乗じた亮政だが、自身も長男の浅井久政(ひさまさ)に不満を抱き、娘婿の田屋明政(たや・あきまさ)に目を掛けたため、死後に久政と田屋明政の対立を招いた。
田屋明政は京極高延と結んで久政と激しく争い、疲弊した浅井家は六角家に臣従することで家名を存続させた。
なお京極高清もかつて弟と家督争いをしており、久政もまた息子の浅井長政と主導権争いをすることになり、まさに歴史は繰り返している。

その後、浅井家は長政の代に織田信長に滅ぼされたため嫡流は途絶えたものの、亮政の孫(久政の娘)にあたるマリアが京極高吉に嫁いだため、皮肉にも京極家として血を残した。
また長政の娘・江(ごう)が徳川秀忠に嫁ぎ、徳川家光を産み徳川家の嫡流に連なってもいる。

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