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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです。三国志の全登場人物を1日1人以上紹介中。リニューアル中のページは見られない場合があります

戦国列伝―宇喜多直家  暗殺魔王

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戦国列伝―宇喜多直家  暗殺魔王



宇喜多直家(うきた・なおいえ)
備前の人(1529~1581)

備前の大名。人生の転機において常に暗殺で道を切り拓き、中国三大謀将や戦国三悪人に数えられる。

6歳の頃に祖父が暗殺されたため父とともに放浪したという。長じると備前の大名・浦上宗景(うらがみ・むねかげ)に仕え、祖父の仇の島村盛実(しまむら・もりざね)や舅の中山信正(なかやま・のぶまさ)らを次々と暗殺。
さらに1566年、備中の大名・三村家親(みむら・いえちか)を浪人に射殺させ、娘婿の松田元賢(まつだ・もとかた)を攻め殺し(夫の戦死を聞いた直家の娘は自害した)、金光宗高(かねみつ・むねたか)が毛利家と内通していると偽って自害させ岡山城を奪い取るなどし、浦上家でも随一の実力者に成り上がった。
まず娘や姉妹、親族の娘を嫁がせ油断させたところを暗殺するその手管は恐れられ、実弟の宇喜多忠家(うきた・ただいえ)でさえ、直家の前に出るときは密かにくさりかたびらを着込んでいたという。

そして1569年、織田信長や赤松政秀(あかまつ・まさひで)と裏で手を結び、ついに浦上家をも乗っ取るために蜂起した。
しかし織田軍は朝倉義景(あさくら・よしかげ)と戦うため引き上げてしまい、赤松軍も黒田官兵衛に敗れて降伏すると、孤立した直家はやむなく浦上家に出戻った。

だが1574年、小寺政職(こでら・まさもと)のもとにいた浦上宗景の兄を担ぎ出し、直家は再び蜂起した。
前回の反省を活かし、事前の根回しで多数の重臣を離反させ、さらに毛利家とも同盟を結んでいた直家は、浦上宗景を播磨へ追放することに成功。備前のみならず備中、美作の一部にまで版図を広げた。
浦上宗景も備前国内の残党と連絡し合い抵抗を続けたが、1579年には鎮圧された。

同年、信長の命を受けた羽柴秀吉の大軍が攻め寄せると、直家はいち早く織田家に臣従し毛利家と戦うが、1581年末、悪性の腫瘍を臀部に患い病没した。
しばらくその死は伏せられたため、公式な没日は翌1582年の1月とされる。

暗殺の材料とするなど親族には酷薄だったが、一方で家臣には温情をもって接し、陥れることは無かった。
また暗殺した相手は手厚く弔い、暗殺者も使い捨てにせずその遺族を保護したため、広く慕われたという。
後継者の宇喜多秀家(うきた・ひでいえ)の代にお家騒動が持ち上がっても離反する者は少なく、宇喜多家が滅亡した後も花房正成(はなぶさ・まさなり)ら援助を続ける旧臣も多かった。

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