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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです

戦国列伝―茶屋四郎次郎  豪商一族


※アイコンは張世平

茶屋四郎次郎(ちゃや・しろうじろう)

京で公儀の呉服屋を営む豪商。
当主は代々「茶屋四郎次郎」の名を襲名し戦国期には3世代にわたって四郎次郎が存在するため、創作はもちろん歴史書などでもしばしば事績が混同しがちである。

信濃守護の小笠原長時(おがさわら・ながとき)に仕えた中島明延(なかじま・あきのぶ)が、武士を辞め京に上り呉服屋を始めたのが成り立ちとされる。
時の将軍・足利義輝(あしかが・よしてる)がたびたび明延の屋敷を訪れ一服したことから「茶屋」の屋号を用いだした。
以下、三世代の四郎次郎を簡単に紹介する。


茶屋清延(きよのぶ)
京の人(1545~1596)

初代茶屋四郎次郎。明延の子で、若い頃は徳川家康に仕え三方ヶ原の戦いにも出陣し、家康から家紋を褒美に得るほどの活躍をした。
1582年、本能寺の変が起こると堺に滞在していた家康に危急を告げ、本拠地の三河への逃避行、俗にいう「伊賀越え」に同行した。
清延は物資の調達を務め、また野盗・山賊や付近の民衆に惜しげもなく金をばらまくことで、危機を未然に防いだという。
その功績から徳川家の御用商人に取り立てられ、茶屋家の後の発展の布石となった。


茶屋清忠(きよただ)
京の人(??~1603)

二代茶屋四郎次郎。清延の長男で、家康からも続けて信任を受けた。
豊臣秀吉が没し、徳川家の権力が増すにつれてさらなる発展を遂げ、京・大坂の物流を一手に担った。
また1600年、関ヶ原の戦いに際し、混乱する京の情勢をつぶさに家康に報せ、廃止されていた京都所司代の復活のきっかけとなったという。


茶屋清次(きよつぐ)
京の人(1584~1622)

三代茶屋四郎次郎。清延の次男で、長谷川藤広(はせがわ・ふじひろ)の養子になっていたが、兄が急逝したため幕府の命令により20歳の若さで当主の座を継いだ。
1612年、朱印船貿易の許諾を得て茶屋家の最盛期を築いた。莫大な富に恵まれ、本阿弥光悦(ほんあみ・こうえつ)ら芸術家の後援にも勤しんだが、彼も兄と同じく39歳の若さで没した。
また家康の死因として有名な鯛の天ぷらを勧めたのは彼である。

その他、清延の三男の茶屋長吉(ながよし)は尾張に居を構え、やはり公儀の呉服屋として一家を築いた。
しかしその後の茶屋家は、鎖国を機に貿易特権も失うと、次第に衰退し始め、明治維新後には間もなく廃業したという。

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