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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです

戦国列伝―前田まつ  良妻賢母


※アイコンは王異

前田まつ(まえだ・まつ)
尾張の人(1547~1617)

前田利家の正室。法名の芳春院(ほうしゅんいん)でも著名。
篠原家に生まれたが4歳で父を亡くし、母は高畑家に再嫁したため、叔母が嫁いだ前田利昌(としまさ)に預けられた。
12歳で利昌の子・利家に嫁ぎ、早くも翌年に長女を、4年後には長男の前田利長(としなが)を授かった。
夫婦仲は睦まじく2男9女、計11人の子宝に恵まれ、記録に残る限り戦国最多タイ記録である。

羽柴秀吉・ねね夫妻とは家が隣同士で、夫妻ともに親友の間柄だった。
秀吉が天下人になっても関係は変わらず、秀吉と利家はお灸を据えあい、まつとねねも親しく話し込んだという。
また三女の摩阿姫(まあ)は秀吉の側室に、四女の豪姫(ごう)は秀吉の養女となった。

1583年、賤ヶ岳の戦いで利家は柴田勝家に味方したが、秀吉との間で板挟みになり中立を保った。
勝家は敗戦後、利家の城に立ち寄ると今までの労をねぎらうだけで恨み言を口にせず立ち去り、まつは秀吉に直談判して降伏の約束を取り付けた。

1584年、佐々成政(さっさ・なりまさ)の軍に城を囲まれたが、倹約家で知られる利家はろくに兵を養っておらず城に籠る他なかった。
その際、まつは「銭に槍を持たせて戦わせたらどうですか」と皮肉を浴びせたという。

1599年、利家が没すると利長が跡を継ぎ、まつは出家し芳春院と号した。
1600年、徳川家康に謀叛の嫌疑をかけられた利長は、いったんは謀叛を決意したものの、まつが慰留に努め、また自ら家康のもとへ人質として赴いたため前田家は処罰されなかった。
だが次男の前田利政(としまさ)は西軍についたため所領を没収され(所領は利長に与えられた)隠居に追い込まれた。はじめは赦免を約束されていたこともあり、まつは心痛から重病にかかり、京や伊勢での保養と、本領の金沢への帰国を禁じられたため14年間を外地で過ごした。
1614年、利長が没するとようやく帰国を許された。後に制定された諸大名の妻子の江戸居住制の実質的な第一号である。

1617年、金沢で没した。享年71。
たびたびの危機を献身的に救ったまつ無くして、加賀百万石の栄華はありえなかった。

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プロフィール

HN:
小金沢
性別:
非公開

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