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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです。三国志の全登場人物を1日1人以上紹介中。リニューアル中のページは見られない場合があります

戦国列伝―足利義氏  傀儡の古河公方

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戦国列伝―足利義氏  傀儡の古河公方


※アイコンは劉璋

足利義氏(あしかが・よしうじ)
相模の人(1541~1583)

関東の将軍家とも呼ぶべき古河公方の第5代。
第4代古河公方である足利晴氏(はるうじ)の次男で、母は北条氏康の妹。

1546年、河越夜戦で北条氏康に大敗し、権威を失った父の晴氏は、氏康の甥にあたる義氏への家督相続を余儀なくされた。
しかし義氏は北条家の勢力拡大のための傀儡として用いられ、常に監視下に置かれ代々の居城である古河城にも戻れなかった。
また関東管領の上杉謙信は義氏の相続を認めず、北条家への謀叛を企み追放され、上杉家が庇護していた義氏の兄・足利藤氏(ふじうじ)こそが正統な後継者だと主張した。

1570年、北条家と上杉家の同盟が締結されると、すでに藤氏も北条家に敗れて処刑されていたため、謙信は義氏の相続を認めた。
念願かないようやく古河城を得ることもできたが、氏康の娘を正室に迎えさせられ、その兄である北条氏照(うじてる)を後見役に付けられるなど、傀儡の立場に変わりはなかった。

1583年、43歳で没した。
男子は早逝していたため、家臣は協議の上で娘の足利氏姫(うじひめ)に古河城主を継がせた。
その後、名家の血が途絶えるのを惜しんだ豊臣秀吉は、義氏の大叔父でかつて小弓公方を自称し古河公方と対立した足利義明(よしあき)の孫である足利国朝(くにとも)と氏姫を結婚させ、喜連川を与えた。
これが喜連川藩の成立につながり、古河公方の血は後世まで残った。

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