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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです。三国志の全登場人物を1日1人以上紹介中。リニューアル中のページは見られない場合があります

戦国列伝―結城晴朝  名家存続に奔走

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戦国列伝―結城晴朝  名家存続に奔走


※アイコンは張邈

結城晴朝(ゆうき・はるとも)
下総の人(1534~1614)

小山家の三男に生まれたが1559年、伯父の結城政勝(まさかつ)が死去し跡継ぎがいなかったため名門・結城家を継いだ。この時、政勝は父との親子の縁を切る起請文を書かせたという。
晴朝は義父の路線を引き継ぎ当初は北条方についたが、上杉謙信が関東管領を譲られると一転して上杉方についた。
北条方についた実家の小山家とは敵対し、たびたび交戦した。1573年に父が没したが立場上駆けつけることが出来ず、父子ともに懇意にしていた住職に焼香に行かせたという。

1576年、実家の小山家が北条家に降ると北条軍の攻勢はさらに強まった。
晴朝は実子がないため宇都宮家から養子を迎え結城朝勝(ともかつ)と名乗らせ、さらに妹を佐竹家傘下の江戸家に、重臣の那須家の娘を佐竹義宣(さたけ・よしのぶ)に嫁がせるなど政略結婚で周辺の大名と同盟し北条家に対抗した。

その後、豊臣秀吉が台頭すると晴朝はいち早く接近し、1590年の小田原征伐にも参戦し所領を安堵された。
さらに秀吉が養子にしていた徳川家康の次男を養女の婿として迎え入れ、その結城秀康(ひでやす)に家督を譲った。
異説としてすでに結城朝勝に家督を譲っていたがそれを退位させたとする説もあるが、いずれにしろ立場を失った朝勝は実家の宇都宮家に戻されている。

1604年、結城秀康が越前に転封になると晴朝もそれに従った。
だが1607年、秀康が没し跡を継いだ忠直(ただなお)は松平姓に復してしまう。実父や養子(朝勝)と縁を切ってまで結城家の存続に努めてきた晴朝は動揺し、徳川家康に懇願して秀康の五男・直基(なおもと)を譲り受け結城家を継がせた。

晩年の晴朝は結城家の家系図や過去帳、家伝の編纂に情熱を捧げ1614年に81歳で没した。
跡を継いだ結城直基もまた1626年、松平姓に復してしまったが、家紋は変わらず結城家の物を用い、祭祀も絶やさなかったという。

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