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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです。三国志の全登場人物を1日1人以上紹介中。リニューアル中のページは見られない場合があります

戦国列伝―大道寺政繁  北条家の重鎮


※アイコンは沮授

大道寺政繁(だいどうじ・まさしげ)
相模の人(1533~1590)

北条家の筆頭家老。
大道寺家は「御由緒家」と呼ばれる重臣で、代々北条家の家老を担った。
政繁も河越城代を務め、「河越衆」と呼ばれる部隊を率いて主要な戦のほとんどに参戦した他、鎌倉代官や寺社奉行、河越・坂戸の統治に卓越した政治手腕を発揮したという。
1546年、かの河越夜戦では剛勇で知られた本間近江守(ほんま・おうみのかみ)を討ち取り、死の間際に近江守が旗指物に付けていた「九つ提灯」を託された。以来、北条家の武士は政繁と近江守の武勇にあやかって提灯を飾るようになり、これが馬印の発祥とされる。

1582年、織田信長が本能寺の変で討たれると、織田家の関東方面軍は総崩れとなった。
北条家はその隙に上野を奪取し、さらに徳川家・上杉家と甲斐・信濃の争奪戦を繰り広げた。その際に信濃小諸城を預かり最前線に立ったのも政繁である。

1590年、豊臣秀吉の小田原征伐では前田利家、上杉景勝、真田昌幸(さなだ・まさゆき)らの圧倒的な大軍を碓氷峠で迎え撃つも敗北を喫した。
上野松井田城に籠もり防戦に努めたが、玉砕を覚悟し幼い孫らを密かに逃がした。真田昌幸らはそれを捕捉したが、あえて見逃したという。
兵糧攻めにあい、水の手も断たれ、本丸に敵が迫るとやむなく降伏した。

その後は豊臣軍に積極的に協力し、特に八王子城の攻略戦では城の弱点を教えたり、手勢を突入させたりもしたが、小田原城が陥落すると北条氏政(うじまさ)、北条氏照(うじてる)、松田憲秀(まつだ・のりひで)らとともに主戦派と見なされ切腹を命じられた。享年58。

徳川家康は次女の督姫(とくひめ)が嫁いでいた北条氏直(うじなお)、さらに政繁の子らの助命嘆願をし認められた。
長男の大道寺直繁(なおしげ)は徳川秀忠に仕え、次男の直昌は前田利家に、三男は出家し四男の直次(なおつぐ)は黒田官兵衛らに仕えた後に徳川秀忠の旗本となり、五男(ただし養子で最年長)の直英(なおひで)はかねてより築城の名手として知られており、名古屋城や弘前城の築城に携わるなど、政繁の内政手腕を受け継いだ兄弟は各地の大名に重用されている。

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