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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです。三国志の全登場人物を1日1人以上紹介中。リニューアル中のページは見られない場合があります

戦国列伝―北条氏規  北条家の外交官


※アイコンは袁煕

北条氏規(ほうじょう・うじのり)
相模の人(1545~1600)

北条氏康の五男。
幼少期は人質として今川義元に預けられた。一時は養子として迎えられ義元の次男に等しい扱いを受けたという。
またこの頃に同じく人質だった徳川家康とは、家が隣同士で親交を結んだと言われる。

兄の北条氏照(うじてる)、氏邦(うじくに)らと同じく武勇に優れ水軍を率いた他、外交手腕に長け上杉家や武田家、徳川家や伊達家など大大名たちの間を取り持った。
特に家康とは旧交を温め、家康から氏規に宛てた書状が多く残されている。

1590年、豊臣秀吉の小田原征伐を招くと、前当主の北条氏政(うじまさ)、氏照、氏邦らが徹底抗戦を唱える中、氏規は降伏を主張。
家康の仲介により上洛し秀吉と交渉を重ねたが、苦労は報われず攻撃が開始されると、居城の韮山城に籠った。
押し寄せる4万の大軍を相手に、たった300の小勢で4ヶ月にわたり防戦したが、家康の説得により降伏し、以後は抵抗を続ける家臣や兄らに降伏を勧める使者を務めた。

戦後、氏政、氏照は主戦派として切腹を命じられ、氏邦も前田利家の臣下に甘んじる中、氏規は秀吉の許しを得て河内に知行を与えられた。
1600年に56歳で没し、嫡子の北条氏盛(うじもり)が跡を継いだ。

氏盛は先に養父・北条氏直(うじなお 氏政の子)の遺領も与えられており、あわせて1万石で大名に連なり河内狭山の藩祖ともなった。
父の死後、間もなく起こった関ヶ原の戦いでも東軍に属し、明治期まで家名存続している。

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