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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです。三国志の全登場人物を1日1人以上紹介中。リニューアル中のページは見られない場合があります

戦国列伝―波多野秀治  丹波のゲリラ大名

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戦国列伝―波多野秀治  丹波のゲリラ大名


※アイコンは蹋頓

波多野秀治(はたの・ひではる)
丹波の人(??~1579)

丹波の大名。
祖父の代から三好家に従属していたが、三好長慶(ちょうけい)が没し三好家が衰退すると1566年に独立を果たした。

1568年、織田信長が上洛するとそれに従い、1575年の丹波侵攻では明智光秀に協力し国人衆を討った。
だが裏では国人衆と内通し反抗の機会をうかがっており、1576年1月、光秀を急襲し丹波から追い出した。
これに激怒した信長は光秀に大軍を与え再侵攻させたが、秀治は丹波の険阻な山岳地帯を活かしたゲリラ戦で光秀を翻弄し、石高から見て数十倍と思われる相手を1年半にわたり苦しめた。
しかし長期戦で兵糧が底をつき、味方の国人衆も各個撃破され1579年に降伏。赦されず磔刑に処された。

その際、光秀は自分の母を人質に出して秀治を信用させ、降伏を促したものの、信長は助命の約束を反故にして秀治を処刑し、激怒した波多野家の家臣によって光秀の母は殺された。光秀はそれを深く恨み本能寺の変の遠因となった、とする説がよく知られているが一次史料に見当たらず創作と思われる。
また光秀の苦戦は信長を失望させ、以降は冷遇されるようになり、それに不満を抱き後の本能寺の変につながったとする説もあるが、これも光秀の不遇を示す確かな史料はない。

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