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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです。三国志の全登場人物を1日1人以上紹介中。リニューアル中のページは見られない場合があります

戦国列伝―別所長治  名句を遺し死す

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戦国列伝―別所長治  名句を遺し死す


※アイコンは靳詳

別所長治(べっしょ・ながはる)
播磨の人(1558~1580)

東播磨の大名。父が39歳で急死したため13歳で跡を継いだ。
別所家は父の代から織田信長に従属していたが1578年、織田軍による虐殺や、中国方面の司令官に足軽上がりの羽柴秀吉が就いたことに不満を抱き、義兄(妻の兄)で丹波の大名・波多野秀治(はたの・ひではる)とともに謀叛を起こした。

荒木村重(あらき・むらしげ)や小寺家が呼応して謀叛するなど当初は優勢だったが、数で勝る織田軍が反撃に転じると不利に陥り、秀吉軍に三木城を囲まれた。「三木の干殺し」とうたわれた実に2年にわたる兵糧攻めの末、長治は城兵の助命と引き換えに開城し、妻子兄弟とともに自害した。
享年23、ただし「信長公記」では26とされる。
辞世の句「今はただ うらみもあらじ 諸人の いのちにかはる 我身とおもへば」はとみに著名である。

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