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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです

戦国列伝―濃姫  魔王の妻


※アイコンは黄月英

濃姫(のうひめ)
美濃の人(1535~??)

織田信長の正室。父は蝮(まむし)とうたわれた斎藤道三(さいとう・どうさん)。本名は帰蝶(きちょう)。
道三の三女で、正室から生まれた唯一の子。明智光秀は従兄にあたる。

10歳の時に政略結婚により信長の許嫁となり、15歳で嫁いだ。だが史料はきわめて少なく、結婚後の動向はおろかその最期すら判然としない。
信長に嫁ぐ際、道三は短刀を渡し「信長がうつけならば刺せ」と命じたが濃姫は「この刃は父上に向かうかもしれません」と答えた逸話が有名だがもちろん創作である。
信長との間に子は生まれなかったとされるが、そもそも信長の子の母親は不明な者も多く確証はない。
以下に濃姫のその後の事績として挙げられる諸説を紹介する。

1.離縁説
道三が息子の斎藤義龍(よしたつ)に殺されると、政略結婚の意味がなくなり離縁された。
濃姫は父を殺した義龍を嫌い母の実家の明智家に身を寄せたが、間もなく明智家も義龍に攻め滅ぼされ濃姫は命を落とした。
「信長公記」ら織田家の史料に濃姫の事績がないのは、すでに織田家から離れていたためである。

2.生存説
道三が殺されると、むしろ道三の正室の唯一の子である濃姫は、斎藤家の嫡流となる。その婿である信長は道三の後継者として美濃攻略を有利に進めた。
攻略後も美濃の国人衆は重用され、また信長の嫡子・織田信忠(のぶただ)は濃姫の養子となったという記述も残っている。

3.生存説 2
山科言継(やましな・ときつぐ)の日記に「信長の正室が斎藤義龍の後家をかくまった」や「正室が出産した」とする記述がある。
また「明智軍記」にも美濃攻略後に正室が家臣をもてなしたという記録がある。

4.本能寺死亡説
本能寺の変では薙刀をふるい信長とともに戦ったとする説もあり、また本能寺から脱出した家臣が濃姫の遺髪を埋葬したとする塚が現存している。

5.長寿説
本能寺の変後、織田信雄(のぶかつ)が焼き落とした安土城から脱出した信長妻子の中に「御台所・北の方」という正体不明の人物がおり、これが濃姫とされる。
また信雄の分限帳には信雄の正室、徳姫(とく 信長の長女。徳川家康の長男に嫁いだが切腹させられると実家に戻った)の二人に次いで「安土殿」という正体不明の女性がおり、信長の居城の名が付けられていることから相当の高位にいた人物で、これも濃姫と推測される。
なお安土殿は1612年に没し「信長公御台」と記されている。
分限帳にはその他「大方殿様」「御局」なる多くの知行を持つ人物もおり、これらのいずれかが濃姫とする説もある。

信長の正室でありながらあまりに謎が多い彼女の生涯は、戦国ファンの興味を刺激してやまない。

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