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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです

戦国列伝―斯波義銀  尾張の名族


※アイコンは趙岑

斯波義銀(しば・よしかね)
尾張の人(1540~1600)

父の斯波義統(よしむね)は尾張守護だが実権は守護代の織田信友(おだ・のぶとも)に奪われており、しかも1554年に信友によって暗殺されてしまった。
義銀はすぐさま信友と敵対する織田信長に討伐を命じ、首尾よく仇討ちを果たし守護の座も継いだものの、信長もまた斯波家を傀儡として尾張支配を進めることとなった。

義銀は三河の吉良家、駿河の今川家など足利将軍家に連なる一門衆との同盟交渉に利用された。
その際、吉良義昭(きら・よしあき)と席次を争い、同盟締結の会席なのに互いに軍勢を並べてにらみ合っただけで引き上げた、というプライドの高さを思わせる逸話が残る。

その後、傀儡の立場に嫌気が差すと、吉良義昭や今川義元と共謀し、密かに今川軍を海路から領内に引き入れようとしたが、信長に露見しあえなく尾張を追放された。
河内の畠山家に逃れ、キリシタンとなり暮らしていたが、信長の勢力圏が畿内に及ぶと和解し、名を津川義近(つがわ・よしちか)と改め、娘を信長の弟・織田信包(のぶかね)に嫁がせ、一門衆として復帰した。

1582年、信長が本能寺で討たれた後は、弟の津川義冬(よしふゆ)が家老を務めていた信長の次男・織田信雄(のぶかつ)に仕えたと見られる。
だが信雄は流言に乗せられ義冬を殺し、義銀は居城を羽柴秀吉に攻められ降伏した。

秀吉は織田政権を牛耳るにあたり、旧尾張守護の義銀を大義名分として担ぎ上げ、公家と等しい待遇を与え、足利義昭(あしかが・よしあき)、山名豊国(やまな・とよくに)らそうそうたる名家の末裔とともに御伽衆を務めさせた。
東北の大崎家、最上家ら斯波家の分家筋にあたる大名との折衝も担ったが1590年、小田原征伐で降った北条氏直(ほうじょう・うじなお)の赦免を願い出たところ、増長であると秀吉の怒りを買い失脚した。

その後は罪こそ許されたが表舞台に戻ることなく、1600年に61歳で没した。
斯波家が再興することはなかったが、息子らは徳川幕府や細川家に仕え名を残している。

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