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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです。三国志の全登場人物を1日1人以上紹介中。リニューアル中のページは見られない場合があります

戦国列伝―太原雪斎  今川義元の師

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戦国列伝―太原雪斎  今川義元の師



太原雪斎(たいげん・せっさい)
駿河の人(1496~1555)

今川家の軍師にして臨済宗の僧侶。
今川義元は5男のため幼くして寺に預けられ、雪斎のもとで修行を積んだ。
だが父、長兄、次兄が相次いで没し、3男と義元の間で家督が争われると、雪斎は義元の片腕として活躍し、ついに3男を自害に追い込み、義元は還俗して今川家を継いだ。

雪斎は軍事・政治・外交など全面的に義元を支え、武田家との関係を修復し、東では北条家の侵攻を防ぎ、西では織田家を破るなど大車輪の活躍を見せた。
また織田信長の庶兄・織田信広(おだ・のぶひろ)を捕縛し、織田家の人質に取られていた松平竹千代(まつだいら・たけちよ 後の徳川家康)を人質交換で取り戻したのも雪斎である。

1550年には武田信玄の子・武田義信(たけだ・よしのぶ)に義元の娘を嫁がせ、1554年には北条家を交えて今川・武田・北条の三国同盟を締結させた。
その際には義元、信玄、北条氏康の三者が雪斎が住持を務める善得寺に集まったとされるが、これは伝承の域を出ない。

今川家の軍師として働く一方で雪斎は新たに寺院を開いたり、京都妙心寺の住持に収まるなど僧侶としても活躍し、法制定にも関わるなど今川家の最盛期を築き上げ、1555年に没した。
雪斎と縁戚関係にあったと思われる武田家の伝説的軍師・山本勘助(やまもと・かんすけ)は「今川家は雪斎が無くてはならぬ家」と、家康も「義元は雪斎とのみ議論して国政を執っていたため家老の力は弱く、雪斎の亡き後には国政は整わなかった」と評したように雪斎の役割はあまりに大きく、また義元も雪斎に依存しすぎたがために、雪斎亡き後の今川家は著しく衰退し、5年後の桶狭間の戦いで義元が戦死を遂げると、なすすべも無く家康や武田家への侵攻を受け滅亡へと突き進むのだった。

なお創作では家康の師とされることも多いが、これもまた伝承の域を出ない。

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