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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです。三国志の全登場人物を1日1人以上紹介中。リニューアル中のページは見られない場合があります

戦国列伝―長宗我部国親  一領具足を考案

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戦国列伝―長宗我部国親  一領具足を考案


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長宗我部国親(ちょうそかべ・くにちか)
土佐の人(1504~1560)

土佐の大名。
通説では5歳の時に父が本山家に敗れ自害したため、一条房家(いちじょう・ふさいえ)に養育され、15歳の時に一条家の援助で居城の岡豊城を奪回したとされるが、近年の研究では父の長宗我部兼序(かねつぐ)は没しておらず、本山家に城を追われたものの1511年に和睦して城主に復帰し、国親が15歳になると家督を譲ったとする説が有力視されている。

国親は吉田周孝(よしだ・ちかたか)を抜擢して内政に励み、また「一領具足」と呼ばれる半農半兵の制度を考案し、軍備増強に努めた。
1544年には仇敵である本山家と婚姻を結び和睦。近隣の国人衆を次々と破り勢力拡大し「野の虎」と恐れられた。
1556年には三男の親泰(ちかやす)を養子に出し、香宗我部家を傘下に収め、本山家が当主を失い衰退すると、和睦を破棄して攻撃に転じた。
戦いを有利に進めたが1560年、病を得て57歳で没した。

跡を継いだ長男の長宗我部元親は「姫若子(少女)」と呼ばれるほどおとなしい性格だったが、国親の没する1月前の初陣で鬼神の如き活躍を見せ「鬼若子」と評価を一変させた。
一領具足を続け、弟の親貞(ちかさだ)を養子に出して吉良家を従属させるなど、父の戦略を受け継ぎ、1575年には土佐を、1585年には四国統一を果たすのであった。

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