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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです。三国志の全登場人物を1日1人以上紹介中。リニューアル中のページは見られない場合があります

戦国列伝―河野通直  心優しき当主

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戦国列伝―河野通直  心優しき当主


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河野通直(こうの・みちなお)
伊予の人(1564~1587)

伊予の大名・河野家の最後の当主。
1568年、河野家先代の河野通宣(みちのぶ)が病に倒れると、嗣子がなかったため一族の通直が養嗣子に迎えられ家督を継いだ。
だが通直もまだ5歳と幼なく、実質的には通直の父・河野通吉(みちよし)が家中を切り回した。(ただし近年の研究では通直の父は村上通康(むらかみ・みちやす)が有力視されている)
また家督相続の際に名前も継いだのか先々代当主で河野通宣の父と同姓同名で、活動時期もかぶるため事績が混同されがちである。

当時の河野家は反乱した大野直之(おおの・なおゆき)も鎮圧できず、隣国の大友家や一条家、長宗我部家に脅かされ、臣従する毛利家の助力で辛うじて生きながらえているに過ぎなかった。
しかし通直は長じると大変な人格者に育ち、多くの美談や逸話を残し、反乱した大野直之すら通直を慕って帰順したという。

1585年、豊臣秀吉が四国討伐に乗り出すと、それに毛利軍も加わったため河野家に抗す術はなく、籠城したものの毛利軍の総大将・小早川隆景(こばやかわ・たかかげ)に説得され開城した。
通直は自ら先頭に立って城内の子供45人の助命を嘆願したとされ、その逸話を伝える石碑が現存している。

通直は所領を没収され、小早川隆景に招かれたが2年後に病死した。
実子はなく、一族の河野通軌(みちのり)が跡を継いだ。
1600年、関ヶ原の戦いに際し通軌は西軍につき、旧領の伊予に攻め込んだが敗北し、河野家もろとも歴史から姿を消した。

だが通直の父が村上通康だとすれば、姉妹が毛利家に嫁ぎ当主の毛利秀元(もうり・ひでもと)を産んでおり、通直の血筋は残っている。

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