三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです。三国志の全登場人物を1日1人以上紹介中。リニューアル中のページは見られない場合があります
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十河一存(そごう・かずなが)
阿波の人(1532~1561)
三好長慶(みよし・ちょうけい)、三好実休(じっきゅう)、安宅冬康(あたぎ・ふゆやす)の弟。
讃岐の十河家の後継ぎが早逝したため、長慶の命で養子となり家督を継いだ。
非常に勇猛で知られ、ある時、戦場で負傷しても傷口に塩を塗り込んで消毒し、藤のつるを包帯代わりに巻いただけで戦いを続けたという。
敵には「鬼十河」と恐れられ、家臣には一存の髪型を真似する者が続出しその髪型は「十河額」と呼ばれた。
長慶が主君の細川家に反逆すると、それを助け奮戦した。次兄・実休が仕えていた細川持隆(ほそかわ・もちたか)の暗殺にも協力し、さらに河内守護・畠山高政(はたけやま・たかまさ)との戦いにも大勝するなど各地を転戦して回った。
しかし1561年、謎の急死を遂げた。
瘡による病死とも、臨終の際にそばにいた不仲の松永久秀(まつなが・ひさひで)による暗殺ともささやかれ、また有馬温泉に久秀と湯治に出かけた折、久秀に「有馬権現は芦毛の馬を好まないから乗らないほうが良い」と忠告されたのを無視したところ、落馬して負った傷がもとで没したともいう。
嫡子の三好義継(よしつぐ)は長慶に引き取られ三好家を継いでおり、他には庶子しかいなかったため甥(実休の子)の十河存保(ながやす)が養子に入り家を継いだ。