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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです

戦国列伝―一条兼定  土佐の馬鹿殿様



一条兼定(いちじょう・かねさだ)
土佐の人(1543~1585)

土佐国司・一条家の当主。
父が突如として自殺を遂げたため(錯乱したと伝わる)7歳で家督を継いだ。
まだ幼いため大叔父で関白の一条房通(ふさみち)が後見役となり、土佐まで赴き政務をとったが、14歳の時に房通も没した。
1558年、伊予の宇都宮家から妻を迎えたが方針転換から離縁し、1564年に大友宗麟(おおとも・そうりん)の次女をめとった。
離縁後も宇都宮家との同盟は続き、連合軍を催して、毛利家の支援を受けた河野家と戦うも大敗。義弟が当主を務める京の一条本家とも疎遠となり、土佐一条家は徐々に衰亡していった。

それと入れ替わるように長宗我部元親が勢力を強め、次第に一条家の領土を侵食していく。
妹婿を長宗我部家との戦で失い、家老を無実の罪で処刑しと人材を失い、ついに1573年、三人の家老の合議により強制的に隠居させられ、さらに翌年には土佐を追放され、妻の実家の大友家へと落ち延びた。
家老らの専横に激怒した一部の家臣が蜂起し、一条家は内部分裂を起こし、それに乗じた長宗我部元親は事態を収拾する名目で一条家の本拠地を占領した。

すべてを失った兼定は岳父・大友宗麟の影響からか神にすがり、キリシタンとなりドン・パウロという洗礼名を受けた。
大友家の兵を借りての再起戦にも敗れると、瀬戸内海の小島に隠棲した。そこでも刺客を差し向けられるなど苦労の末、当地で没した。

軍記物などでは大いに脚色されきわめて無能な人物に描かれるが、再起戦には多くの旧臣が集まり、また敗戦後も長宗我部家によって刺客を送り込まれるなど警戒されており、決して無能な人物ではない。
また隠棲した彼を尋ねた宣教師は、熱心な信仰ぶりに感嘆したという話も伝わる。

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