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夢想大蛇

三国志と日本戦国時代の人物紹介ブログです

戦国列伝―姉小路頼綱  ねんがんの飛騨をてにいれたぞ!



姉小路頼綱(あねがこうじ・よりつな)
飛騨の人(1540~1587)

飛騨南部の大名。はじめは三木自綱(みつぎ・よりつな)を名乗った。
飛騨全土の支配を目指す父の三木良頼(よしより)は、南北朝時代に飛騨の国司を務めた姉小路家が断絶しているのに目をつけ、姉小路家を乗っ取り改姓し、自綱も姉小路頼綱と改名した。

1572年、父が没すると家督を継ぎ、1578年に上杉謙信が没すると、織田家の援助を得て親上杉派の国人衆を次々と攻め滅ぼした。
1582年、織田信長が暗殺されると、混乱に乗じて飛騨北部を領する宿敵・江馬輝盛(えま・てるもり)を「飛騨の関ヶ原」と呼ばれる八日町の戦いで破り、宗家筋の小島家、実弟の継いでいた鍋山家をも滅ぼし飛騨統一を成し遂げた。

だが後ろ盾としていた柴田勝家、佐々成政(さっさ・なりまさ)らが羽柴秀吉に敗北すると、飛騨にも侵略の手は及び、頼綱はやむなく降伏した。
長男は謀叛の疑いを掛けてすでに殺害しており、家督を継がせた次男も降伏の際に自害を命じられた。
頼綱は助命されて京に幽閉されたが、1587年に没した。

末子の三木近綱(ちかつな)は縁戚の遠藤家に人質に出していたため助かり、後に徳川幕府の旗本となった。
四男の森直綱(もり・なおつな)は遠藤慶隆(えんどう・よしたか)の婿となり、慶隆の一人息子が戦死すると、直綱の次男が養子となって遠藤家を継いだ。
遠藤家は幕末まで大名として存続し、明治期には子爵となり現在も続いており、姉小路家は途絶えたが頼綱の血は残った。

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小金沢
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